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大分市, 大分県, Japan
とにかく車、単車、メカが好きです。 それと家族が大好き。 125ccのスクーター&オフ車でたまにツーリング&林道探索してます。 愛車は、 単車:台湾YAMAHA社製BW's125x&YAMAHA WR250R ブラジルYAMAHA社製XTZ125Eはドナドナされました。 車は:日産セレナ こんなおっさんですがよろしくです。

2020年10月23日金曜日

バイバイもこちゃん

 いつもは楽しいネタだけ投稿する事にしているのですが、今回だけはわが家の記録として留めておきたいので悲しいお話。


タイトルから分かるように、わが家のアイドルであったトイプードルの「もこちゃん」が2020(令和2)年10月22日に、10歳10ヶ月生き抜き、この世を去りました。



まるで眠っているよう。

待っていたらいつものようにムクッと起き上がって、私の顔を愛らしく舐めてくれたり…

そうはならないみたいです。

この子がわが家に来たときの話は、コチラ

この時は、私の手の上に乗るくらい小さくてホントに可愛いかった。

そして、そのまま私の中ではずーっと可愛いままの「もこちゃん」でした。

最初のシツケが良かったのか、家の外の人間には良く吠える素晴らしい番犬で、私たちには甘えたり、ワガママいったり、と言った吠え方はせずいつも居るのか居ないのか分からない位静かに家の中にいました。

人を決して噛むことはせず、食事中に手を出されても怒る事もない。

どこに出しても恥ずかしくない子。


私が小学校にまだ入る前だったか?実家で雑種の犬を飼うことになりました。

その頃の私は幼かったですし、犬の面倒なんてちゃんと見ることもせず、誰が面倒見ていたのかも記憶にありません。

あまり長い年月を経たずにその子は逝ってしまいました。

悲しかった気がしますが、幼い記憶で良く憶えていません。

父はその時以来が2度と悲しい別れをしたくないと犬を飼ってくれませんでした。

それでも私は犬が大好きでした。

その後、拾ってきた犬を飼おうとしたけど反対されて、お隣さんが飼ってくれることになり、隣の犬なのに良く遊びに行っていました。

それでもやはり、よそ様のペット。

学生時代にはハムスターは飼いました。

可愛いのは可愛かったですが、犬のように懐くとかそう言うのがなかったですね。



そして、結婚し子供ができ家を建ててと良くある家族の物語の流れで、私の人生初、自分の意思でちゃんと犬を飼うことになりました。


その時の犬が「もこちゃん」です。

私も犬が好きだったとは言え、飼い主初心者。

「もこちゃん」を飼いだしてしばらくしてから散歩を面倒くさがったり、粗相をしてしまった時に怒ったり、ダメな飼い主の時もありました。

改心して「もこちゃん」を誉めて伸ばし出したら、色々とちゃんと出来るし、私の事も怖いから言うことを聞くのではなく、何かあれば私の横に寄り添うようになっていました。

私がリビングの床で寝転びながら肘をついてテレビを見ていると決まって私の背中に触れるか触れないかの距離で身体を丸めて眠っていて、私が少し仰向けになろうもんなら私の身体で押し潰しそうになった事が何回あったか。

ソファーに座っていたら、私の太ももと肘おきの狭い隙間に潜り込んできたり。

お布団では、私より大きなイビキをかきながら寝ていたり。

散歩がとにかく好きだったなぁ。

私と行くときは、私がゆっくり付き合ってあげるから、私の顔色見ながら後ちょっとだけ、もう少しって遠回りしていっぱい色んな匂いを嗅いで、一生懸命マーキングしてた。

自分が先走れば首輪が首に食い込むのに、そんなの構うかって位グイグイ進んでゲホゲホ言いながら歩いたり。

「もこちゃん」との思い出は楽しかった事ばかり。


広い原っぱに行ってリードを外しても私の近くから離れきらなかった可愛い「もこちゃん」。

魂が解放されて自由になれたら色んな所に行けば良いんだけどな。

それでも私から離れきらないなら、ずっと私の事を見ていて欲しい。


今でもドアを開けたら「もこちゃん」が尻尾を振って待っていてくれないか?

家の中の門を曲がると「もこちゃん」の影がチラつきます。

もう動かないはずなのにね。

明日2020(令和2)年10月24日に「もこちゃん」を火葬してほんとのお別れです。

庭に散骨してあげる予定です。

金木犀の木の下に散骨しようかな?

そしたら、金木犀の花が薫る頃「もこちゃん」を思い出せるからね。

思い出ばかり語っても「もこちゃん」は生き返らないけど、心の中で生き続けてくれるはず。

逢いたいよ、抱っこしたいよ、ペロペロして欲しいよ。



バイバイもこちゃん

強くなれる理由を知った!!???

北エン以前からの愛車ポニー号不調の原因も分かり、次への準備を着々と進めている大分県で二輪車安全運転指導員をしている永井真理子ファンのおっさんです。


今週は、もともと平日2連休の予定だったのですが、FaceBookでヤマケンさんこと元モトクロスIAの山本堅市さんが、私の2連休前の日に走ると投稿されていました。


常日頃から「平日で休みが合う日は一緒に走りましょう。」とヤマケンさんが誘って下さるのと、以前ヤマケンさんと走った時にモトクロスの練習するには走り易いと思っていた福岡県築上郡築上町航空自衛隊築城基地横にある築城エアライドパークで走られるとの事だったので、休みを頂き3連休に突入しました。


1日目:築城エアライドパーク

ヤマケンさんとの約束の時間ちょうどくらいにコースに到着。


最近、御機嫌ななめのポニー号('03YZ125)をまず始動チェック。


とは言え、この前あれだけ整備したんだから今回はバッチリでしょ??と思いながらキック一発で始動はバッチリ。


と思っていたら、暖気で吹かしていると徐々に回転が落ちてくる…


スロットルを回しても回転がついてこない。


嘘やろ…


そのままストール。


その後は、最近の症状と変わらずプラグがカブって何回キックしてもかからない。


ヤマケンさんも色々と様子を見て下さり「圧縮がない」とおっしゃる。


この前、チャンバー外して見た時はピストンリングの下は燃焼ガスが吹き抜けてなかったので大丈夫と思うんですがと言ってみる。(でもこの時すでにエンジン不調のヒントは出ていたのです。)


なんだかんだで、この時はYPVSの排気弁にカーボンが溜まって作動していないんだろうと言う事になり、YPVSの排気弁の洗浄作業を行う事になりました。(こんな事ならこの前YPVSのガバナスプリングを調整した時に開けておけば良かったと思っても後の祭り。)



上の写真の真ん中のゴムホースが付いている蓋が外したい蓋です。


本来ならYPVSの排気弁を取り出す為の蓋は上の写真のように、シリンダーとフレームに挟まれていてそのままでは開けられないので、クーラント液を抜き出し、シリンダーヘッド、シリンダーを外し、その後シリンダーに取り付けてある蓋を開けて作業するのですが、今回は応急処置と言う事で、クーラントを抜かずにエンジンをずらして蓋を開けてしまうというミッションが発動しました。


その為に行った作業内容

・タンク外す

・サブフレームずらす

・リアサス上だけ外す

・キャブレター取り外し

・ラジエーター取り付けボルト外す

・スイングアームずらす

・チェーン外す

等々行い、最後にエンジン取り付けボルトを外し、エンジンをずらしてYPVSの排気弁の蓋のボルトを外して、なんとか御開帳。


元モトクロスIAの凄い方にこんな事させて申し訳ないやら情けないやら(もちろん私も一緒に作業はしました。)



なんだかんだで1時間半で作業は終了し、その後は無事にエンジンは始動しエンジョイモトクロスが出来ました。

しかし、私のポンコツポニー号に比べるとヤマケンさんのマシンは美しい。


ある程度、走った後にヤマケンさんが私の後ろで私の走りを見て下さり、今の私の走りではどこが足りないかを教えて下さいました。
今の私の走りってのが大事です。
 今から書く私がヤマケンさんから頂いたアドバイスは、この時の私のスキル、コース状況に合わせて下さったアドバイスであって、万人のオフロードライダーに通じる内容ではないと思います。
 この時の私にはとても効果的なアドバイスではありましたが、オフロード始めたばかりの超初心者の方や私なんかより上手くて悩みがもっと上の方には違った内容の話になる事があると思います。
 この時、私も今までスクール等で教わってきたセオリーとは違うなとは思いましたが、逆に自分がセオリーと逆だけどこうなんじゃないか?と疑問に思っていた理屈と合致したのですんなりとヤマケンさんのアドバイスを受け入れる事が出来ました。
 これは、私個人の考えですが、自分より経験があり結果を残してきた方からアドバイスや指導を受ける際、例え自分の中で合点がいかなくてもまずは自分の中に強引に落とし込みそれでも違うものは違うと決めているので、色々な方の良い点を吸収できて役に立っています。
 頭デッカチになっても実践出来なければ意味がありません。
 トライ&エラーの繰り返しで、バイクだけではなく全てにおいて人は成長するものだと思いたい。

と、話を本題に戻して、


この後の2枚の写真はヤマケンさんが撮って下さいました。

この時教えていただいた事は、タイトなコーナー出口での立ち上がりのコツです。

コーナー立ち上がりで、腰を引きながら(もう少し後ろに座っていても良かったかもしれません)リアタイヤにトラクションをかけつつ、シッティングしているようで、少しお尻を浮かせてリアサスペンションが良く動くようにしつつ、上半身は腹筋と背筋を使い前後にブレないように固定し、自分の目線がズレないようにしつつアクセル全開で加速していく練習をしました。(昔よりアクセルは開けられるようになりました。)

目線がブレなくトラクションも安定していると加速に対する恐怖心も無くなり、安全に加速することが出来ました。

その後のブレーキングも色々と考えさせられましたが、続きはいつか開催されるかもしれないヤマケンスクールを受講して下さい(笑)

元モトクロスIAの凄い技術を持った方から個人的に指導して頂けるチャンスなんてめったにありませんし、走行前の整備から含めてホント感謝しかありません。


ところで、写真に撮っていただいて見ると、いつも思うんですけど、バイクが小さいですね(笑)
(決して人が大きいとは言わない)

動画も撮っていただいたのですが、テーブルトップで少しは飛べるようになったかな?と思ったけど、自分が思っているより飛んではいないですね。

まぁ、仕事や家族があるサンデーレーサーはガッツリ飛ばなくても良いのかな?

築城エアライドパークは、低めの丁度よい長さのテーブルトップが良い感じで配置されていたり、人が少なければショートカットして一つのセクション(上の写真のコーナー練習のような)を反復練習も出来るので私のようなサンデーレーサーでも超上手い選手でも楽しめて、基礎練にも向いているとても良いコースだと思います。

しかも、私のように反復練習している自衛隊機のタッチアンドゴーが見られたりするし走りも景色も楽しめます。


2日目:ゴンドーシャロレーオフロードコース
2日目は、ある車両の試乗に北エンでいつもお世話になているゴンドーシャロレー牧場オフロードコースへ行きました。

試乗車両を持って来て下さるいつも色々なレースで久保一家のメンバーと共に切磋琢磨し合っている長崎のNK氏は軽トラで試乗車両を持って来て下さるので、私はポニー号を持っていき現地で車両を交換して遊ぶ予定でした…

そして、現地でポニー号を降ろして、まずはエンジン始動。

昨日、あれだけヤマケンさんと苦労して整備したのだからバッチリだろうと思っていたら、一発始動後の回転落ち込みからのストール。

これは、デジャブか…

今までは数日置いて、似たような症状だったのでちょっとした不調だろうと思っていたのですが、2日連続で同じ症状が出たとなると、根本的な何かがあるに違いない。

今までの整備やらでおかしな事が無かったか頭の中で精査する。

すると、そう言えばこの前ギアオイルを交換して、廃油を1L缶に入れた時に600ml程入れていたはずなのに、えらい少ないなと思った事を思い出しました。

それと、築城でヤマケンさんが「圧縮が無い」と言っていた事。

これらを総合すると、どうやらクラッチ側とクランクルームを繋ぐオイルシールの劣化に伴いクラッチ側のギアオイルがクランクルームに入り込み混合燃料と混ざってめっちゃオイリーな混合燃料となって燃焼室に入りこんでいたんでしょうね。

そりゃーカブるわな。

そう言えば、レースや練習の時に皆さんに白煙が濃いけどエンジンのどこか不調じゃないの???ってだいぶ前から気にしてもらってたっけ。

ポニーはサインを出し続けていたんですよね。

そこは私の経験不足で感知できなかった。

でもそういう経験をさせてもらった。

ホント、走るのもイジるのもあり得ないトラブルとかも色々と教えてくれて、ライダーを育ててくれる良い相棒と出会いました。

でも、腰下ってヤバくない???(マシン的にも予算的にも)

※最終的には、現役時代にポニー号の年式のYZ125でも戦っていたKTM大分の店長が腰下バラさず何とか低予算で修理が出来るでしょうっておっしゃってくださったので入院させてきました。

それはそうと、私が試乗するマシンって…


ポニー号の向こうに何やら格好良さげなバイクが写っています。

ポニー号に試乗する予定だったけど乗るマシンが無くなったNK氏が試乗しています(汗)


その試乗させていただいたバイクは、コチラっ!!!

2017年式 Husqvarna FE350 

試乗一発目、8の字やら加速の具合を確かめる。
(この時思ったのは、排気量は上がり物凄い馬力ではあるのですが、前日ヤマケンスクールで教わった事をしていたら恐怖心無く開ける事ができ、バイクに振り回される感じもありませんでした。)

いざコースイン。

ポニー号のように頑張って開けて、必死に乗ってみる。

足回りが良いハズだけどなぁ????

確かにポニーよりは楽に周回出来たけど…

なんか違う。

もっと感動的な何かがあるはず。

と休憩していたらNK氏が「あっ、そうだ空気圧落とすの忘れてた!!!」って。

前後1.2kg/㎠位入ったタイヤで、まあまあのチュルチュルマディ路面をポニー号のような苦労をせずに難無く周回できたと言う事は、やっぱり凄いかも!?

空気圧を調整していただき、この試乗会に偶然???来て下さっていた久保一家特別顧問のMK氏からは、もう少し肩の力抜いて走ってきてみたら?とのアドバイス。

どちらも効果覿面(こうかてきめん)。

足が良く動くの分かるし、今まで怖くてスタンディング仕切らなかったのに、このバイクは逆に立たないと乗れない感じ。

私の大きい身体とのマッチングも良い。

なんなんだこのマシン、良すぎるぞ。

ただ、ポニーのトラウマが残るガレ場は、本当はこのマシンではイケるハズなのに、心がビビッて開けきらずスタック等、まだまだ課題は山積。

ってか、このマシンどうするのか???って…

フフフフフッ(笑)


3日目:劇場版「鬼滅の刃」
2日間バイクで遊び倒した挙句の果ては、今話題沸騰中のアニメの映画を観に行く始末(笑)


TVアニメ版をAmazon prime TV で全話観てから気になっていたんんです。

正直、前半はこんなもんかなぁとか思いながら見ていましたが、終盤に差し掛かり、キャラクターから作者の熱い熱い想いがスクリーン越しに伝わり涙しました。

その涙の理由とは…

・昨日出来なかった事が今日出来たならそれで良いじゃないか
・出来なかった事が出来たと思ったら、また高い壁が立ちはだかる
 「強く、強くなりたいっ!!」
・柱(先輩)は若い芽が摘まれないように、若者を守り、守ってもらった若者はまた後世に繋げろ

と言った内容(感動はしたのですが、雰囲気で覚えているので違った内容があるかもしれませんが悪しからず)のセリフが出てきて、そのセリフを聞く度に、それらの想いとここ最近自分がレースに関する事で感じていた想いとが重なり、自分もそうなりたいと強く望めば望むほど涙が止めどなく溢れてきました。

30半ばから4st125ccのXTZ125Eでオフロードにハマり、WR250R、’03YZ125へとステップアップ、40過ぎにレースに出始め、以前出来なかった事が今では出来るようになっている事が増え、オフロード始めた頃の自分と比べたらだいぶ成長はした。

それでも、レースに出る度に「ここまではっ!!!」と思う目標になかなか辿り着けずにもがき苦しみ、練習を繰り返す。

今より上手くなりたい、その時より上手くなれば、さらに上手くなりたいと願う。

自分より上手い人なんて山ほどいるのは分かっている。

たかがサンデーレーサーなのも分かってはいるが、ここで終わりなんて考えられない。

年齢の上下関係なく自分に関わって下さった先輩方や仲間、その人達から与えてもらった物を自分は発揮出来ているか?

もっと、もっと、上手くなりたいっ!!!

いくつになっても向上心を持ち続けたい。

そんな気持ちを再確認できて、強く思い直せた作品と出会えた事に感謝です。

おっさんの新しいステージは、これから始まりそれ以降も続いていくハズ…