2019年12月8日日曜日

佐野元春:大分公演(2019.11.30)、永井真理子ファン感謝祭:吉祥寺(2019.12.01)に行ってきた&more

先日、永井真理子さんのファン感謝祭に行ってきて浮かれ気分でロックンロールな毎日を送っている大分県で二輪車安全運転指導員をしている永井真理子ファンのおっさんです。


さあ、そんな私ですが、永井真理子さんのファン感謝祭の前日にもライブに行っていました。

順番で言うと、先日行った福岡での永井真理子さんのライブのチケットを取った後、大分に佐野元春さんがライブに来るという情報をゲットし佐野元春さんのライブチケットも取りました。

それが11月30日。

チケットを入手した後に永井真理子さんのライブに行きファン感謝祭の話を聞きました。

普通だったら東京で行われるライブなんて、家族にも申し訳ないし、職場にも言いづらいし行く事はなかったはずですが…

ファン感謝祭の特典として、ライブ参加者全員が永井真理子さんとツーショットチェキが撮れるという話を聞いてしまい、行けるのなら行くしかないという事にしました。

で、ファン感謝祭は1日2ステージで11月30日と12月1日の2日間。

そうなると佐野元春さんのチケットは発券済みなので12月1日しか行けない。

って事で、先行抽選に申し込んだところ見事12月1日夜の公演チケットをゲットしました。

Twitterでファンの皆様(通称TeamM)の投稿を見ていると当たり外れに差があるので、私も運が良い方だったんだなぁと実感しました。

そうなったら、家族にも職場にも相談して何とか行けるようにしてもらいました。


そんなこんなで、ファン感謝祭も楽しみにしつつ、前日は地元大分で佐野元春さんを満喫するという贅沢をしてきました。


場所はコチラ

西大分駅近くにある「TOPS Bitts HALL」


外から見るとあんまり大きくない建物ですが、私の整理番号は684番くらいでした。

私の後ろにもまだ100人位いたので700人位の観客がいたはずですが、全員館内に収まっていました。

佐野元春さんを好きになったきっかけは、実は永井真理子さんがラジオで紹介していたのがきっかけでした。

私が好きになった時には、ドラマの曲やらなんやらで流れていた気がします。

で、例のごとく何の予習もせずにライブに行ってみたら、演奏される曲どれも知らない曲ばかり(汗)

でも、どこか懐かしい感じ、佐野元春さんらしい曲なのでお決まりのノリとかは出来ないにしても手拍子やスウィング位は出来ました。

最後に何曲か私でも知っていた曲が流れそこは一緒に口ずさんだり。

後ろのお姉さまの声が佐野元春さんより大きかったりしたり(笑)

その時歌って下さった「約束の橋」を聞いたとき、この曲にさして思い入れとか無かったんですが、グッと胸に込み上げる物があり、危うく涙するところでした。

途中途中のMCは、ベラベラとはしゃべらない佐野さんですがユーモアがあり、愛が有り、何より男が惚れる男らしさがありました。

アンコールも2回して下さりましたが、2回目のアンコール後拍手が鳴り止まず、むしろ盛り上がってきたら、佐野さんがバックバンドの「コヨーテバンド」の方々と相談を始め「他の街の人達には内緒だよ」と言ってからもう一曲歌って下さいました。(佐野元春さんの公式FaceBookで公表されていたので私はココに書いているだけで、それがなかったらもちろん佐野さんとの約束を守るつもりでした。)


そんな佐野さんのライブを送迎してくれた嫁さん


こんな物をくれました。


早めのクリスマスプレゼントという事で永井真理子さんのファン感謝祭に行くための旅費やグッズ購入代の為の餞別です。

ライブに行く事を許してくれただけでありがたいのに、ここまでされたら感謝しかありません、


そして、感謝祭当日の昼の便で旅立ちました。


ANAのCAさんは可愛い人が多い気がします。

JALは綺麗系??


富士山が見えたんですけど、上手く撮れてない。


なんだかんだで感謝祭の会場となる吉祥寺へ到着。

Twitterで知り合ったTeamMの「すしちよ」さんと合流し、ホテルに荷物を置いた後、これまたTeamMであり前日のライブに行かれていた「びんた」さんがチェキの保管方法としてチェキ用の額が会場近くのビックカメラに売っていると言う情報を提供して下さっていたので「すしちよ」さんと買いに行きました。


その後、感謝祭会場の「STAR PINE'S CAFE」へ


感謝祭の案内も表示されてました。


ココに着くと昼の部を終えた方々がチェキを持って出てくる出てくる。

羨ましい気持ちを抑えて様子を伺う。

ココで、昼の部に参加されていて顔合わせの約束をしていた「NS1ー80cc」「ふじもん」と合流。

夜の部の0次会とやらの会場に連れて行っていただき、TeamMの皆様にある程度御挨拶をして会場に戻りました。

会場前で待っていると、ORANGEの時に振るオレンジ色のサイリュームを持っていない方々に配っていらっしゃる方。

お名前を伺うと夜の部終了後に行われるTeamMの1次会の幹事「Kaiji☆」さんでした。

同じファンでもあそこまで気遣い出来るファンは凄いなぁと驚くばかり。

会場時間になると整理番号順に呼ばれて会場内に入って行きました。

「すしちよ」さんは私よりだいぶ早く呼ばれて先に会場へ向かわれました。



会場内にTesmMから誕生祝いのお花が(永井真理子さんの誕生日は12月4日)


「Kaiji☆」さんは個人でお花を、凄いですね。


会場内はこんな感じ。

今回の定員150人で私は整理番号133番だったのでだいぶ後ろの方です。

ですが当たらなかった方々の事を思うと贅沢言えないですよね。


写真上の屋根の先にビデオカメラが取り付けてありました。

最初はYou Tube配信用かと思いましたが違ったようですね。

後で何かで配信してくれるのだろうか??


感謝祭スタート


オープニングは「ONE STEP CLOSER」

私がリクエスト曲の1つで書いていた曲。

「夢に一歩ずつでも近付いていく」という歌詞がすきなんですよねぇ。

後は、私はセットリストとか覚えられないので詳しい方のブログを見ていただければ良いと思うのですが、ライブ全体の感想として、バンドと真理子さんの一体感、皆さんの楽しそうな表情が印象的でした。

若い頃は、もう真理子さん、真理子さんで真理子さんしか見えていませんでしたが、年齢を重ねて落ち着いて、Twitter上でバンドメンバーの皆様それぞれの活動とか見ていると、ライブ中も皆さんの行動が気になって真理子さんを見つつもバンドメンバーの皆さんの様子も見てしまっていました。

結果、みんな楽しそう。

ファンもバンドメンバーも真理子さん本人も楽しんでいるライブって最高ですよね。

特別ゲストとして呼ばれていた、真理子さんのデビュー当時から一緒だった「前田克樹」さんも少年のようにとても楽しそうに演奏されていました。

その前田さんの後を引き継いだ?COZZiさんと一緒に演奏しているっていう状況も素敵でしたね。

想いはもっともっとあるんですけど、書きつくせないし、上手く伝えられないので、コレくらいにしておきます(汗)


ライブ終了後のステージ。


ORANGEという曲に合わせて作られたノンアルコールのカクテル。



ライブ終了後のお楽しみ


憧れの真理子さんとツーショットチェキです(嬉)

中学生の頃、カセットテープに録音していた永井真理子さんと笹野みちるさんが放送していたラジオ番組「ポップンルージュ」の最終回分を何とかPCに吸い上げCDに焼いていき、真理子さんに届けました。

緊張しすぎて上手く伝えられませんでしたが、とりあえず受け取ってもらえたので良かったのか??


ライブ後は、TeamMの打ち上げ会場にオジャマさせて頂き、色々な方々とお話できました。

中でも印象的だったのは「Kaiji☆」さんから聞いた、横浜スタジアムの結婚発表後からのライブの状況変化や真理子さんの活動状況、復帰に至るまでの話でしたね。

自分を含めて、ファンはファンで勝手な思いで離れていけますが、今まで信じていたファンが急に離れていった寂しさや悔しさを感じていたであろう真理子さん、嫉妬の対象であったCOZZiさん、それぞれの思いを感じるとなんだか申し訳ない気持ちになりましたね。

他にも私がファンを一回辞めた頃のタイミングで真理子さんのファンになったという方のお話を伺えたり、ZUTTOファンだった方、私と同じような境遇の方、話してみると性格だってマチマチだし、色んな方が今の真理子さんを支えているんだなぁと感じました。

ただ、感じたのはライブで真理子さんもおっしゃっていたけどTeamMの方々は皆優しい。

私も中学生の時なら、こいつらには負けないくらい真理子さん愛は強いとか勝手に思っていたはずですが、みんなで真理子さんを応援しようって気持ちが皆さんから感じられて、その思いを感じるから皆さんと仲良く話す事が出来た気がします。

関東近郊の方々は終電前に帰られましたが、遠征組の5人が残りカラオケに行きました。

真理子さん縛りかと思いきや皆それぞれ歌おうよって事で真理子さんの曲を歌いつつ、それぞれ歌うんですが、結局年代が近いから懐かしい曲ばかり、楽しい時間を過ごせました。



翌日は、帰省する予定でしたが、せっかく東京に来たし大分では観られない映画でも観ようって事で…


「Gのレコンギスタ」劇場版を新宿ピカデリーで観てきました。



その後、6月に亡くなった母のいない実家へ帰省し父と2人で過ごしました。




子供の頃は、良い子であろうとして、自分を抑えていた私。

そんな私を認めてくれて長所をしっかりと伸ばしてくれた母。

愛情表現が苦手?私と感性がズレていた父。



見た目には、理想的な家族を演じてきたつもりでも心のどこかで引っ掛かる物がありました。

それが嫌で進学を理由に実家から遠い所に飛び出した学生時代。

一人暮らしをする事で、親のありがたみを少し知りました。


就職でも関東には帰らずに九州で就職。

九州で結婚し子供が生まれ家庭を持ち、親の苦労を知りました。


妻が突然の交通事故で半年間入院した時、愛する人を失うかも知れないという恐怖を知りました。



そして今年2月、母がすい臓がんのステージ4(末期)と診断され、親の死と直面しました。


母を含めた家族で話し合い、抗がん剤治療で痛みに耐えながらほんのちょっとの寿命を延ばすより、苦します痛みを伴わない緩和ケアを選択しました。

家族で協力し、母の死に向き合い、母の生き様、母の死に様を見させて頂きました。



そういった事があった後、父と過ごす実家では、一人で食べる御飯より、一人で見るTVより、家族が一人でもいてくれると嬉しいと言われた事で、1日でも帰って良いかったなと思える帰省でした。

父の母への思いも聞かせてもらい、私も今までの思いをやんわりと伝え、お互いの気持ちを伝えた事でお互いを理解し、今まで以上に優しい気持ちになれた気がします。



そんな事を思いながら帰宅の途につく為に到着した、


高校時代の通学で利用していた最寄り駅の風景は、


あの頃と変わらず、


 また帰ってきたくなる景色でした。